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2015年1月29日 (木)

FF11 -実は少なからず私の生き方に影響を与えたもの-

 第6章のちょいと骨休みで、また適当な文字を書き連ねることにする。

 10年近く前、私は題名のものにはまっていた。いわゆるネットゲーである。
 やっていた頃はそれを人に語ること自体が仕事の妨げになりかねないと思ってあまり人に語ることはなかったが、まあそう考えること自体がゲームに対して失礼な話ではある。世の中にはいろいろ人のやることにつっこみたがる人物が実際少なくないのは確かだが。
 出版した変な本『時間認識という錯覚』の第五章に書いていたから、全国的にばれてしまっているわけだし、こんなじじいがゲームにはまろうが何だろうが誰も気にしないだろうし、「時間は人の認識としてでしか存在しない」とか「重力や質量の正体を解き明かした」なんて言っている人物が、いまさらゲームの話一つしても人としての怪しさには変わりないだろうから、初めてそれの話題を書いている。

 今でもこれは文科省かどこかがこっそり企画して、ゲーム会社に作らせたのではないかと疑っている。正直できすぎていると思うのだ。

 「ザ・セル」という映画がある。心に悩みを抱えた人物に対するカウンセリング的な医療行為の一環として、ある装置を使ってクライエントの夢の世界にセラピストが入り込むという話だ。ネットゲーにはそれと同じような効果があるように思う。まあ「ザ・セル」の方は、その装置が殺人犯に使われて…というホラー映画なのだが^^;

 つまり、ネットゲーの良くできているのは、ゲームの世界に「他者」がいることだ。ゲームのサーバーに自分と同じようにアクセスしている他者とコミュニケーションしながら、ゲームの世界を楽しむというコンセプトになっている。自分一人で遊んでもそれなりに楽しめるのだが、仲間を集めて大勢で遊んだ方が楽しめるような設定になっている。そして、英語圏からアクセスしている人もいるのだ。それで自分の利益のために英会話をせざるを得ない状況があちらこちらで生まれてくる。

 いや正直言うと、文科省が実験的にデータでもとっていたのではないかと、今でも疑っている。

 時には誘われ、時には自分から誘い、どこのだれかもわからない人たちと自分が楽しむための時間を共有する。疑いようもなく、このゲームとつきあった数年間のおかけで、私は現実世界でも積極的に自分で何かをしようという態度を身につけることができた。

 私はホームページを作り、全国あちこちに出かけていって、自分で研究発表もしたり、変な本を書いたり、それを全文英訳したり。いつの間にか、ゲームの中にいる時間がそういう方面で動いている時間へと変化していった。

 実は、10年近くもアクセスしていないにも関わらず、契約は切ってはいない。(自動で切られていれば別だが)。
 いよいよじじいになって、生きることに余裕が出てきたら、(まあたぶんそんな時はこないだろうけど)、ゲームの世界の荒野にぽつんと一人たたずんでいる私のキャラクターを復活させてもいいかなと考えている。何年後何十年後かわからないが。それまで終了するなよと^^;

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