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2016年1月 4日 (月)

「対称性の自発的破れ」が我々の「心」を生んだ

 発売中の『時間認識という錯覚』のネット限定記事、「第六章」は、ラストがやや中途半端な終わり方になっている。「時間の流れは人の認識の結果としてでしか存在しない」という拙著の「第六章」として位置づけているからには、やはり落としどころもそこに持っていくべきであろう。

 それで、「第六章」の「結び」を追加で書いてみることにした。良い感じに書けるようだったら、「熊男の住処」の専用ページに追加しようと思う。


 
「前章まで私は、観察者と観察される側との関係が「動き」を生み出すと語ってきた。その「動き」が、観察者の脳内のニューロン群の反応のずれを生み、それがステレオグラム的に合成されて「時間認識」を生み出す。そのように説明してきた。

 断るまでもなく、我々も、そして観察対象である「何か」も、どちらも物体である。さらに極端に言えば、我々は膨大な量のフェルミオンの塊である。質量を持ち、互いに重なり合うことはなく、力が加えられない限りにおいてそれぞれ慣性(静止)状態を保つ存在である。

 もし我々がボソン(光)だったらと想像してみよう。そして、宇宙にボソンしかない状態を想像してみよう。ボソンは一つの場所にいくらでも重なり合うことができる。しかも、(理屈の上では)常に一定のスピードで宇宙を飛び回っている。
 つまり、ボソン同士は互いに干渉し合わない。
 互いに影響を受けず、ただ球状に振動し続けるだけの存在に、時間が流れていると言えるだろうか。時間という概念の定義によるだろうが、ボソンしかない世界における「時間」は、少なくとも我々の認識する日常的な意味での時間とは全く異なる状態であろう。光(ボソン)しか存在しない世界における「時間」は、言わば現在という瞬間を軸として、過去と未来に交互に振動し続けているようなものだ。つまり対称性を保っている。

 そのようなボソンしか存在しない宇宙の中で、偶然よりそった複数のボソンが共振(または量子もつれ)し始める。そして、それらのボソンの周囲の「リソース」が枯渇し、収縮状態を保った状態で安定した瞬間、つまり「対称性の自発的破れ」が発生した瞬間、ボソンはフェルミオン化し、世界に「物質」が誕生する。さらに、「物質」が複数創り出された時、「関係」が生まれ、「動き」が生まれ、「時間の流れ」が発生し、そしてそれを認識する「主体」が存在可能になる。

 「時間」は、そして人の「心」は、光の海の「対称性の自発的破れ」から生まれたのである。」

 
 
 
 

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