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2016年1月 9日 (土)

「時間の矢」

 「時間の矢」については、ウィキペディアに次のように書いてある。

「空間は前後左右上下とどの方向についても対称的に移動できるのに、時間は過去から未来にむけての一方向にしか(非対称的にしか)進行することがない。」

 我々は日常的に時間が過去から未来に向かって流れていることを当たり前と思って暮らしている。だから、時間以外の全ての物が「対称性」を持っているのに、時間だけがそれを持っていないと言われてもなんだかぴんと来ないはずだ。

 しかし、考えて見れば、「対称性」を持たないことによって、「時間」はその存在自体が不可思議なものとなっているのは確かだ。「時間の流れは一体いつから始まったのか」は、人が意識を手に入れて以来の謎であろう。
 「ビックバン直前の特異点が始まりであって、それより前は何もなかった」などと説明されたところで、「何もないとは一体どういう状態だ」と子供でも不思議に思うはずだ。

 拙著『時間認識という錯覚』のネット限定第六章で私は、物質を構成する基本単位であるフェルミオンは、空間が球状に振動する光(ボソン)が「対称性の自発的破れ」を起こして、収縮限界に近い状態を持続したものだと仮説を述べてきた。つまり世界には最初、光しかなかったと。

 一つ前のブログで書いたように、光(ボソン)は同じ場所にいくつも重なり合うことができ、また一定の速度を保ち続ける存在である。つまり完全に他から独立している。ただそれ自体を絶対座標として半永久的に収縮と伸張を繰り返す様子は、言わば「現在」を基準として「未来」と「過去」とに繰り返し繰り返し振動し続けるようなものだ。つまり、光(ボソン)しかない世界においては、「時間」でさえも対称性が保たれている。

 そして、光の一群が共振(もしくは量子もつれ)を起こしてフェルミオンが生まれ出た瞬間に、「対称性」は破れ、「時間の矢」が発生するのである。

 

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