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2016年3月13日 (日)

「戯言学」

 もしそんな名前の学問があったとしたら、初代教授は私だろうか。(エイプリルフールフライングPART2だな)。

 とにかく徹底して、物事の裏を読む。そういう学問である。

 具体的には、まず未解決問題をずらっと並べる。そして、その間に関連がないかを直感だけを頼りにあれこれ突っついてみる。つまり「行間」ならぬ「問題間」を読むのだ。

 そもそも、未解決であるという点だけでもそれらは既に共通点を持っている。裏でつながっていてもなんら不思議なことではない。そして、一つ重要な観点を見出せば、それらの結び目がつるつるっと解けるかもしれない。

 実はそういう思考は、「虚構テクスト」、つまり文学の読解の際に用いられるものと同じタイプのものだ。

 物事を筋道立てて考えるのはもちろん大事だ。しかし、正直本音を言えば、世間一般で言われている「論理」は、複雑なものを複雑なまま受け止めることを否定しているように思えてならない。物事を一つのシンプルな「型」に押し込んでしまえば、思考停止してしまえる。その方が頭を使わなくて良いから楽である。
 さらに他人にその「型」を押しつけてしまえば、常に自分の土俵で物事を語ることができる。その条件での論争は、全戦全勝間違いなしだ。もちろんそのような論争からは何の進歩も発展も見出せないだろうが。つまりそれは一種のピアプレッシャーである。

 戯言学、つまり虚構テクスト的思考は、「型」を持たない。時には論理性さえ無視する。最終的には複雑なものを複雑なままつかみ取ることが目標である。
 しかし、つかみ取ったことを他者に伝える際には、「論理性」の世話になる必要がある。つまり、それらはどちらが大事だというようなものではなく、相補的なものだ。まあ当たり前だが。

 虚構テクスト的思考は、試験とかにはむかない。何でもかんでも試験すればいいというようなものではなかろう。まあいわゆる「小論」は、ある程度そういった思考のレベルを試すことが出来るかもしれないが。

 戯言学は、純粋に「遊び」であるところに意味がある。遊び心というものは勉強に限らず大事だろう。

 というようなことを、もうすぐ出版する予定の本に書いている。

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