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2017年1月14日 (土)

下血したぞ(完治したけど)

 こんな経験は滅多にできるもんじゃないので、自己カウンセリング的な意味も含めて記録を残しておく。

 そもそもきっかけは腰痛だった。昨年末の飲み会で、無理な姿勢を長時間続け、「やばいかもしれない」と思いながらテニスをして、予想通りに痛めてしまった。それで、年末年始の休暇のほとんど全てを寝て過ごす羽目になった。

 正月三日を過ぎた頃にようやく痛みも引いて、起き上がれるようになって実家に帰ってきた。もらって来たおせちを腐らせちゃまずかろうと夜中に一気に胃袋に流し込んで布団にもぐり込んだ。

 夜中の一時頃、胃袋の下あたりに刺すような痛みを感じた。最初は食中毒だと思った。おせちがあたったと思った。それでとにかく体の中の物を出してしまおうと、水をがっぱがっぱ飲みながら、まず胃袋を洗浄した。それでも痛みは治まらない。

 下からも出してしまおうときばったが、これがまた全く出てこない。ふと気づくと、腰痛で倒れて以来トイレに行った記憶がない。どうも10日分ぐらいがぎゅうぎゅう詰めになっているらしかった。腹の痛みはいっこうに治まる気配はない。脂汗を流しながら30分以上かかって、腹の中の物をなんとか全てひねり出してしまった。その時はそう思った。それが夜中の1時頃。

 三時ぐらいに目が覚めた。どうも寒気がする。布団が全く暖かく感じず、ホットカーペットに掛け布団を移して温度を全開にした。がたがた震えながら寝ていると、全てひねり出したはずの腹の中にまだ何か残っている。それでトイレに行った。妙な感触だったので便器の中をのぞき込んで驚いた。血便とかいうようなレベルではなく、純粋な「血」が結構な量吹き出ていた。

 こりゃやばいと思った。このままだと朝まで持たないかもと思った。明らかに熱は上がりつつあってがたがた震えていた。すぐに救急病院にあちこち電話をかけて、当直医のいるところを探し当て、飛んでいった。当直医は最初、切れ痔のようなものと思ったらしい。それでトイレに行ってサンプルをとってきて見せたところが、すぐにCTをとることになった。点滴が刺され、CTの結果が出た後に、入院が決定した。

 入院初日は、座って入院のための書類を書くのもつらいぐらいだった。解熱剤を飲んで点滴しているにも関わらず、熱は下がらなかった。6回ぐらいトイレに行ったが、すべて「血」そのものが吹き出た。しばらく絶飲食することになって、水分も栄養も全て点滴から摂取し、ただ寝ているだけの状態が2日ほど続いた。時々トイレに行くのに、点滴をがらがらころがしていった。

 二日目には下血の回数も減って、医者から明後日から流動食と言われた。「まだ血が出ているのに」と思ったが、翌日には医者の読み通り血は止まった。流動食を食べた直後に久しぶりに「普通の便」を見ることができ、正直「生き延びたなあ」と思った。

 一週間経って、内視鏡で最終チェックをすることになった。大腸はもちろん小腸までずっとチェックしてもらった。準備のために下剤を一リットルも飲む羽目になったが、自分の腸の中をリアルタイムで備え付けのモニターでのぞくことができ、なかなか面白い体験だった。

 診断結果は「虚血性大腸炎」。

 大腸が腹の中を大きくぐるっと回っているが、横行結腸というおなかの上の方の部位に傷が入っていた。写真をもらってきたが、はっきりくっきり治りかけの白っぽい傷跡が4カ所ぐらいある。ストレスだとか単に経年劣化だとかでもろくなった腸壁が一気に剥がれ落ちて出血したらしい。つまり、最初に感じた胃の下あたりの刺すような痛みがまさにそれだったのだろう。写真を見る限りは「何かがひっかいていった跡」のようにも見える。

 が、それ以外には悪性ももちろんとしてポリープの類も一切なかった。それまで内視鏡の類を入れたことがなかったので、結果として豪華な人間ドックにいけたような感じになった。

 退院する日に朝トイレに行くと、茶色い普通の便に数センチ程度の白っぽい物が混ざっていた。医者に尋ねてみると、治りかけた傷跡のかさぶた状の部分がはげ落ちたものだろうということだった。

 

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