« ロードスターRF、約一ヶ月 | トップページ | 無限とは何か? »

2017年5月29日 (月)

「相対性」ということについて

 ヒトは自分の脳から出ることはできない。見ている世界は脳の中に映し出された虚像に過ぎないのに、目の前に色があり、形があり、三次元的な世界が広がっていると信じている。

 だから本当の意味での「相対性」ということをなかなか理解できない。

 例えば地動説と天動説が典型で、天動説が勘違いだとしても、だからといって地動説が正しいとは簡単には言い切れない。「地動説として捉えたときに天体の動きを計算する際に、比較的にシンプルですむ」というだけのことだ。
 つまり我々はどうしても何らかの基準点を考えずにはいられない。天動説における基準点が地球であり、地動説における基準点が太陽であるというように。空間のある点に、一方は地球がはりつき、一方は太陽がはりついているだけのことであり、どちらも特定の基準点を設けているという点では本質的な違いはない。

 実際には、太陽も地球も空間のどこにはりついているわけでもなく、そこには「まるで太陽の回りを地球が回っているかのように見える相互関係」がある」だけだ。

 世界には関係しか存在しない。

 言葉にしてしまうとなんだそんな単純なことかという感じだが、この意味を本当に正確に理解するのは簡単なことではないのだろう。

 二つの物体が、ある相対速度を持っているとして、それはどちらが動いているわけでもない。そこにはただ相対的な関係のみがある。そういわれてもピンと来ないのが当たり前だ。

 おそらくそのことに最初に気づいたのは一部の数学者であり、そして記号論の創始者であるソシュールもその一人であるに違いない。

 ヒトは自分の脳から出ることは出来ない。無意識のうちに自分の脳を座標ゼロとして思考することに慣れきってしまっていて、自分がその影響下にあることにさえ気づかない。もうそろそろ気づいても良い頃だとは思うが。自分たちが観測者に過ぎず、そしてそれは世界の本質などではないということに。

|

« ロードスターRF、約一ヶ月 | トップページ | 無限とは何か? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ロードスターRF、約一ヶ月 | トップページ | 無限とは何か? »