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2017年7月27日 (木)

「対称性の自発的な破れ」はなぜ「破れ」るか?

 『時間認識という錯覚』の増補版を出すことに決めて、早速あれこれ動き始めた。もちろんその目的は「第六章」とそこで語られる様々な「戯言アイディア」を世に送り出すことにある。だから同じ本でも中身は別物と考えていい。まあ前の本の前半は流用するつもりだが。
 副題は前の「2500年の謎を解く」から「時間の矢の起源を求めて」に変えるつもりだ。

 さて今回のブログは、そこで書く内容の覚え書きのようなものだ。

 「対称性の自発的な破れ」は、増補版の目玉となる概念だが、もちろんこれは私が勝手に言っていることではなくて、2008年度のノーベル物理学賞を獲得した南部陽一郎さんの考えたことだ。
 何年か前にNスペで『神の数式』という番組が放映された。理論物理学の発展の歴史を実に分かりやすく説明した良い番組で、特に「対称性」ということについて素人にも分かりやすいように語ってくれているのが印象的であった。(私自身はレーダーマンの『対称性』という本をずいぶん前に読んでおり、ある程度理解しているつもりだったのだが。)

 その番組で、南部陽一郎さんが唱えた「対称性の自発的な破れ」についても、分かりやすく説明してくれていた。その番組では、対称性が破れる様子を「芯を尖らせた鉛筆を逆さまに立てて並べておくと、ある瞬間からそれらは一斉に倒れ始める」といった映像で紹介していた。

 素人の私は、単純に次のような疑問を感じていた。

「『対称性』というのは、完璧にバランスの取れた状態のはずだ。鉛筆を逆さまに立てておけばそりゃ簡単に倒れるだろうが、『対称性』本来の状態というのは、簡単に破れるようなものではないような気がするのだが…」

 さらに考えた。対称性が破れているものの中で、最も代表的なものは「時間の矢」だろう。前述のレーダーマンの『対称性』においても、時間だけがなぜ対称性を持っていないのかが話題の一つになっていた。時間が流れるのは当然であっていちいち悩むほどのことはないはずだと思うだろうが、流れるためには始点が必要になってくるのでそう簡単ではないのだ。つまり、時間はいったいいつ始まったのか?未解決問題が立ちはだかるわけだ。

 「時間の始まり」は、「世界の全ての事物の対称性が保たれた状態」といえるかも知れない。これにいては既に以前書いたブログ記事や、それを元にした「第六章」で説明済みである。

 しかし、さらにこう思う。

 私のアイディアである「宇宙には最初に光(ボソン)しかなかった」は、もちろん数多存在する「宇宙の始まり」のアイディアの一つに過ぎない。そもそも光が既にあることを前提としているので、純粋な意味での「始まり」としては最初から弱点を抱えている。

 しかし、「対称性」が「完全なバランス状態」である限り、実際には逆さまに立てた鉛筆のようには簡単に倒れたりしないはずだ。もしそのバランスが崩れるとしたら、それ自体のもつ「完全さ」が原因であるか、別の「完全さ」、すなわち別の「対称性」が必要になるはずだ。

 「円」、もしくは「循環」は、その「もう一つの対称性」である。

 未来も過去もなく、他のボソンとのつながりもない世界に、三つのボソンが「円」を形作り、その間で「循環」を始めたとき、「対称性が自発的に破れる」。

 この「対称性という完全性が破れるためには、別の対称性という完全性が必要になる」というのは、数学的証明に匹敵する論理だと思うのだが…


追記

 「対称性」というのは本来破れるようなものではない。「対称性が自発的に破れる」というのは、言ってみれば宇宙空間に浮かんだテニスボールが、何の力も加えていないのに突然一定の方向に加速し始めるようなものだ。だから、「対称性」を持つ存在は原則として永遠にその性格を保ち続ける。
 そのような「対称性」がもし「破れる」としたら、それは本来の「対称性」を保ったまま、別の対称性に組み込まれる時しかあり得ない。つまり「対称性」は「循環」という別の「対称性」が追加されることによって、疑似的に破れるのだ。

 

 

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