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2017年8月13日 (日)

『時間認識という錯覚(増補版)-時間の矢の起源を求めて-』の「序」

※ 半年後(?)に出版予定の本の「序」です。


 「増補版の序」

 子どもの頃、私たちは誰でも、宇宙の不思議さにときめいたはずだ。
「宇宙は一体どこまで続くのか?」
「宇宙に果てがあるとしたら、それより向こうはどうなっているのか?」
「時間の流れはいつ始まったのか?」
「時間に始まりがあるとしたら、それより前はどうなっているのか?」

 本書『時間認識という錯覚 時間の矢の起源を求めて』は2013年に出版した『時間認識という錯覚 2500年の謎を解く』の増補版である。最初の本の第五章を第六章に下げ、新たな内容の第五章を追加して出版したものである。新章の追加に伴って、他の章にも加筆修正を行っている。
 本書には二つの「矢」が登場する。一つは「ゼノンのパラドックス」の矢であり、一つは物理学において「時間の矢」と呼ばれるものだ。それらは異なる概念ではあるが、「時間の流れとは何なのか」という一つのテーマを扱う点で共通している。
最初の本で私は、「ゼノンのパラドックス(の矢)」を話題の中心に据え、「時間の流れ」について認知的な観点と物理的な観点の二面から考察してきた。今回の増補版で追加される観点は「時間の(矢の)始まり」である。

 冒頭に示した素朴な疑問は対称性という概念と関わりが深い。通常の物理現象のほとんど全ては対称性を持っている。対称性は可逆性という性質を含む。可逆性とは、ある物理現象を逆に考えてもそれが成立するという考え方だ。たとえば条件をシンプルにするために宇宙空間を舞台としよう。無重力状態にある二人の宇宙飛行士がぶつかり合ったとする。この時、どちらがどちらから離れていくと決めつけることはできない。それぞれの宇宙飛行士の距離(関係)が変化するのであって、どちらかの飛行士が離れていくように見えるとしたら、それはその現象を観測する人物の主観でしかない。また、「ぶつかり合う」という動作を録画して逆回ししても、一つの「動き」として物理的には全く問題なく成立する。つまり、ほとんど全ての物理現象は可逆性と対称性とを持っている。
 それなのに「時間の流れ」だけは、過去から未来へと一方にしか流れない。つまり「時間の流れ」は対称性が破れている。これが「時間の矢」といわれる謎である。
私たちは「時間の流れ」の中で生活し、それを自然なものとして感じている。しかし、「流れるもの」には必ず始点があるはずだ。「宇宙の果て」や「時間の始まり」について考えると誰でも思考停止に陥る。それは「無」に他ならないからだ。人は何かについて考えることができても、「何もない」ということについて考えることができるほど強い心を持っていない。だから、自分の生きている世界のごくありふれた謎である「宇宙の果て(の向こう)」や「時間の始まり(のさらに前)」から目を背けながら生活している。
 本書においては、「時間の矢(流れ)」が「対称性が破れた状態」にあることに着目し、「対称性が保たれていた状態」を「時間の始まり(の直前)」の定義とする。時間を含めた全ての事物の対称性が保たれた状態について、いくつかの仮説を用いて説明したい。
 「オッカムの剃刀」という言葉がある。一つの現象を説明するのに複数の解釈が成り立つなら、そのうち最もシンプルなものが正しい解釈であるという考え方だ。本書において提示される仮説は、その論理的な整合性とシンプルさとが武器である。さらに、実験による実証可能性も有している。それらについて新しく追加される第五章で語っていく。

※ まあひょっとしたら大幅に変えるかもですが、いまのところこんな感じです。前の本のプロローグとかはそのままにしておくことにしました。
※ 製本はハードカバーにしました。(表紙とかが厚い)。まあその方が「本」という雰囲気が出ますからね。ほとんどただそれだけですが。

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