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2017年12月29日 (金)

電磁気学を量子力学的に解釈してみる

 電磁気について考え続けていた。

 来春4月頃に出版予定の「増補版」に、このブログの「量子シリーズ」の内容を新しい章として入れる予定だが、電磁気についてはまったく触れていない。本音を言えば、これまで組み込むことが出来ずにいたのである。

 電磁気学は避けては通れないのは分かっている。「増補版」の核となるのは「光とは何か」という問題である。既存パラダイムの多くを無視して、好き勝手な論を展開しているが、その強みは「論理的な整合性だけはある」ということだった。
 しかし、電磁気学はこれまで私の「戯言パラダイム」に組み込めずにいた。電磁気学においては光は電磁気の一種とされている。だから電磁気についても「空間の球状の波」のイメージに組み込めなければ完全とは言えなかった。それが思考実験のレベルでもこれまでうまくいっていなかった。

 電磁気は「直角に交わる電場と磁場とが、互いで互いを呼び起こしながら、媒質のない空間を直進する」といった説明が教科書の類ではなされている。以下のような図をよく見かけるはずだ(図はニュートン別冊「波のサイエンス」)

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 この「電場と磁場が直交する」というイメージがどうにもしっくり来なかった。

 「増補版」で私は、光子、つまりボソンを完全な対称性を持つ存在とし、世界の始まりには光しか存在せず、それが完全であるが故に時間の流れでさえも過去と未来に対して対称性を保っていると説明している。つまりボソンしかない世界において時間は流れていなかったと。

 しかし「電場と磁場が直交して代わる代わる振動する」という様子は「完全なる対称性」にはほど遠いものだった。

 私は電場磁場が直交するイメージを一時保留にすることにした。このイメージに縛られているかぎり新しいアイディアは出てこないと判断した。一つには上記のイメージは実験によって直接確認されたものではないはずだという読みがあったからである。
 電場と磁場が直交するというイメージはそれぞれの発生手順から来るものだと考えた。鉄に電線を巻いてコイルにすると、巻かれた鉄は電磁石になる。この時、電気を通す電線はSN極に対して直交している。逆に永久磁石をコイルに出し入れすると、そのコイルに電気が生じる。これも電線と永久磁石のSN極は直交している。
 「電場と磁場が直交しながら媒質のない空間を進む」というイメージは、それが生まれた時代に(おそらく今現在でさえ)それを実際に観測する手段はなかったはずだ。だから、電場と磁場の関係は、発電機でもおなじみの磁石とコイルの関係から連想したものに過ぎないと。

 そうやって、高校の教科書にさえ載っている「電磁波のイメージ」をいったんかっこに入れて、私は思考実験を進めていった。

 ボソンにおいては無視できる電場と磁場の関係も、我々の日常レベル、つまり通常物質のレベルでは無視することなどできない。電流と磁力の直交状態は、その原理がそのままモーターを動かす原理になっているぐらいであって、確定した事実そのものである。
 電流の方は拙ブログの「戯言パラダイム」でも簡単に説明できた。電流の実体である電子は、「空間のリソース」の余剰部分、もしくは不足部分を、陽子相互で順々にやりとりする様子であろう。おそらくは陽子の周囲の球状の波にはいくつかの形態があって、安定度の低い状態が順々に次へ次へとリレーのバトンのように受け渡されているのだろう。だからその出口部分をうまく操作すれば「空間のリソース」そのもの(もしくはその不足部分)である電子は、そのまま通常物質から飛び出して、単独の光子(ボソン)になってしまう。つまり電灯だ。

 単分子結合である金属は、電流が流れ、磁力を持つことができる。磁力は陽子を構成する三つのクォークの円の中心を貫くように発生する。だから、電流に対して磁力が発生する際には、陽子の三つのクォークは、平面にわっかを敷き詰めているような状態になっているのだろう。

 そこまでは良かった。

 しかし、磁力に極性があることをどうしても説明できなかった。私の「戯言パラダイム」では陽子を構成する三つのクォークは、単純に三つで円を構成し、順に「空間のリソース」を奪い合いながら擬似的なスピンをしているだけの存在である。「円」の上と下とで極性が生まれるような違いがあるとは思えなかった、しかしSN極は、同じ極が反発しあい、異なる極が引き合うという小学生でも知っている明確な特徴を持っている。

 そして、考えているうちにふと気づいた。

 陽子の擬似的なスピンは観察する位置によって右回りと左回りがある。磁力の極性とは、その回転の向きのことなのではないかと。同じ向きの極が互いにジョイントし合うように引きつけ合い、逆向きの極がかみ合わずに反発し合う。
 同じ向きというとNとN、SとSとイメージするだろうがそうではない。それぞれ同じ極、つまり同じ向きの擬似スピンをくっつけるためには、片側をぐるりと180度回転させなければならず、そうすると回転の向きは逆転してしまう。つまり、一つの磁石としては逆回転であるSとNが引きつけ合うのは180度回転させたときに、回転の向きが同じになるからである。

 まとめよう。電流とは「空間のリソース」の不足部分である電子の陽子相互のやりとりのことであり、磁力とは陽子を構成する三つのクォークの擬似スピンが直接作り出す力であり、極性とは陽子のスピンの回転の向きであると。

 まだまだ磁力については、実際に存在する様々な特徴を説明し切れているとは言えない。しかし、本ブログの「戯言パラダイム」を売りであるシンプルさを損なうことなく、電気と磁気を同時に説明可能にするための足がかりとしてはなかなか面白いアイディアだと自分では思っている。

追記

‪金属結合自体は堅牢だろうけど、原子を構成する素粒子レベル(ハドロン)の三つのクォークの向きは比較的自由度が高いのではないか。特に鉄。だからコイルの電流の回転の向きに陽子の擬似スピンの向きが強制的にそろえられるかたちになって、通常は物質内で循環して自己完結的に外に出ることがない磁力を物質外に放射せざるを得なくなる‬と。それが電磁石の原理と考える。永久磁石は最初からハドロンの向きが揃っているということなのだろう。

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