カテゴリー「「時間意識」戯言」の200件の記事

2017年8月13日 (日)

『時間認識という錯覚(増補版)-時間の矢の起源を求めて-』の「序」

※ 半年後(?)に出版予定の本の「序」です。


 「増補版の序」

 子どもの頃、私たちは誰でも、宇宙の不思議さにときめいたはずだ。
「宇宙は一体どこまで続くのか?」
「宇宙に果てがあるとしたら、それより向こうはどうなっているのか?」
「時間の流れはいつ始まったのか?」
「時間に始まりがあるとしたら、それより前はどうなっているのか?」

 本書『時間認識という錯覚 時間の矢の起源を求めて』は2013年に出版した『時間認識という錯覚 2500年の謎を解く』の増補版である。最初の本の第五章を第六章に下げ、新たな内容の第五章を追加して出版したものである。新章の追加に伴って、他の章にも加筆修正を行っている。
 本書には二つの「矢」が登場する。一つは「ゼノンのパラドックス」の矢であり、一つは物理学において「時間の矢」と呼ばれるものだ。それらは異なる概念ではあるが、「時間の流れとは何なのか」という一つのテーマを扱う点で共通している。
最初の本で私は、「ゼノンのパラドックス(の矢)」を話題の中心に据え、「時間の流れ」について認知的な観点と物理的な観点の二面から考察してきた。今回の増補版で追加される観点は「時間の(矢の)始まり」である。

 冒頭に示した素朴な疑問は対称性という概念と関わりが深い。通常の物理現象のほとんど全ては対称性を持っている。対称性は可逆性という性質を含む。可逆性とは、ある物理現象を逆に考えてもそれが成立するという考え方だ。たとえば条件をシンプルにするために宇宙空間を舞台としよう。無重力状態にある二人の宇宙飛行士がぶつかり合ったとする。この時、どちらがどちらから離れていくと決めつけることはできない。それぞれの宇宙飛行士の距離(関係)が変化するのであって、どちらかの飛行士が離れていくように見えるとしたら、それはその現象を観測する人物の主観でしかない。また、「ぶつかり合う」という動作を録画して逆回ししても、一つの「動き」として物理的には全く問題なく成立する。つまり、ほとんど全ての物理現象は可逆性と対称性とを持っている。
 それなのに「時間の流れ」だけは、過去から未来へと一方にしか流れない。つまり「時間の流れ」は対称性が破れている。これが「時間の矢」といわれる謎である。
私たちは「時間の流れ」の中で生活し、それを自然なものとして感じている。しかし、「流れるもの」には必ず始点があるはずだ。「宇宙の果て」や「時間の始まり」について考えると誰でも思考停止に陥る。それは「無」に他ならないからだ。人は何かについて考えることができても、「何もない」ということについて考えることができるほど強い心を持っていない。だから、自分の生きている世界のごくありふれた謎である「宇宙の果て(の向こう)」や「時間の始まり(のさらに前)」から目を背けながら生活している。
 本書においては、「時間の矢(流れ)」が「対称性が破れた状態」にあることに着目し、「対称性が保たれていた状態」を「時間の始まり(の直前)」の定義とする。時間を含めた全ての事物の対称性が保たれた状態について、いくつかの仮説を用いて説明したい。
 「オッカムの剃刀」という言葉がある。一つの現象を説明するのに複数の解釈が成り立つなら、そのうち最もシンプルなものが正しい解釈であるという考え方だ。本書において提示される仮説は、その論理的な整合性とシンプルさとが武器である。さらに、実験による実証可能性も有している。それらについて新しく追加される第五章で語っていく。

※ まあひょっとしたら大幅に変えるかもですが、いまのところこんな感じです。前の本のプロローグとかはそのままにしておくことにしました。
※ 製本はハードカバーにしました。(表紙とかが厚い)。まあその方が「本」という雰囲気が出ますからね。ほとんどただそれだけですが。

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2017年7月27日 (木)

「対称性の自発的な破れ」はなぜ「破れ」るか?

 『時間認識という錯覚』の増補版を出すことに決めて、早速あれこれ動き始めた。もちろんその目的は「第六章」とそこで語られる様々な「戯言アイディア」を世に送り出すことにある。だから同じ本でも中身は別物と考えていい。まあ前の本の前半は流用するつもりだが。
 副題は前の「2500年の謎を解く」から「時間の矢の起源を求めて」に変えるつもりだ。

 さて今回のブログは、そこで書く内容の覚え書きのようなものだ。

 「対称性の自発的な破れ」は、増補版の目玉となる概念だが、もちろんこれは私が勝手に言っていることではなくて、2008年度のノーベル物理学賞を獲得した南部陽一郎さんの考えたことだ。
 何年か前にNスペで『神の数式』という番組が放映された。理論物理学の発展の歴史を実に分かりやすく説明した良い番組で、特に「対称性」ということについて素人にも分かりやすいように語ってくれているのが印象的であった。(私自身はレーダーマンの『対称性』という本をずいぶん前に読んでおり、ある程度理解しているつもりだったのだが。)

 その番組で、南部陽一郎さんが唱えた「対称性の自発的な破れ」についても、分かりやすく説明してくれていた。その番組では、対称性が破れる様子を「芯を尖らせた鉛筆を逆さまに立てて並べておくと、ある瞬間からそれらは一斉に倒れ始める」といった映像で紹介していた。

 素人の私は、単純に次のような疑問を感じていた。

「『対称性』というのは、完璧にバランスの取れた状態のはずだ。鉛筆を逆さまに立てておけばそりゃ簡単に倒れるだろうが、『対称性』本来の状態というのは、簡単に破れるようなものではないような気がするのだが…」

 さらに考えた。対称性が破れているものの中で、最も代表的なものは「時間の矢」だろう。前述のレーダーマンの『対称性』においても、時間だけがなぜ対称性を持っていないのかが話題の一つになっていた。時間が流れるのは当然であっていちいち悩むほどのことはないはずだと思うだろうが、流れるためには始点が必要になってくるのでそう簡単ではないのだ。つまり、時間はいったいいつ始まったのか?未解決問題が立ちはだかるわけだ。

 「時間の始まり」は、「世界の全ての事物の対称性が保たれた状態」といえるかも知れない。これにいては既に以前書いたブログ記事や、それを元にした「第六章」で説明済みである。

 しかし、さらにこう思う。

 私のアイディアである「宇宙には最初に光(ボソン)しかなかった」は、もちろん数多存在する「宇宙の始まり」のアイディアの一つに過ぎない。そもそも光が既にあることを前提としているので、純粋な意味での「始まり」としては最初から弱点を抱えている。

 しかし、「対称性」が「完全なバランス状態」である限り、実際には逆さまに立てた鉛筆のようには簡単に倒れたりしないはずだ。もしそのバランスが崩れるとしたら、それ自体のもつ「完全さ」が原因であるか、別の「完全さ」、すなわち別の「対称性」が必要になるはずだ。

 「円」、もしくは「循環」は、その「もう一つの対称性」である。

 未来も過去もなく、他のボソンとのつながりもない世界に、三つのボソンが「円」を形作り、その間で「循環」を始めたとき、「対称性が自発的に破れる」。

 この「対称性という完全性が破れるためには、別の対称性という完全性が必要になる」というのは、数学的証明に匹敵する論理だと思うのだが…


追記

 「対称性」というのは本来破れるようなものではない。「対称性が自発的に破れる」というのは、言ってみれば宇宙空間に浮かんだテニスボールが、何の力も加えていないのに突然一定の方向に加速し始めるようなものだ。だから、「対称性」を持つ存在は原則として永遠にその性格を保ち続ける。
 そのような「対称性」がもし「破れる」としたら、それは本来の「対称性」を保ったまま、別の対称性に組み込まれる時しかあり得ない。つまり「対称性」は「循環」という別の「対称性」が追加されることによって、疑似的に破れるのだ。

 

 

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2017年3月26日 (日)

「量子物理学の発見 ヒッグス粒子の先までの物語」-量子色力学による「強い質量」-

 科学おたくの私は、おたくの名に恥じずこれまで数え切れないぐらいの関連書籍を読みあさってきたが、この本に出てくる「強い質量」という言葉を一度も目にしたことがなかった。

 「量子物理学の発見」は、ノーベル賞受賞者であり、実験物理学の伝説的存在でもあるレーダーマンの著書である。題名の通り、本の主要な内容は2013年に発案者がノーベル賞を受賞したヒッグス粒子発見までの過程を説明したものである。ヒッグス粒子が質量を生む仕組みについても分かりやすく説明されており、一時ネット界隈でもよく目にした「雪道の例え」に納得いかなかった人もこれを読めば少し心が落ち着くはずだ。

 さて、私が問題にしたいのはヒッグス粒子の話ではなく、この本の最終章の内容である。最終第九章になって突然論調が変わるのだ。

 第九章の項目中に「ヒッグス粒子自身はどうやって質量を獲得するのか」というものがあり、冒頭部分に次のように書いてある。

「標準理論で「フェルミ(引用者注・物質の基本単位となる素粒子)のスケール」を決めているのはヒッグス粒子の質量である。しかしヒッグス粒子がなぜその質量を持つのかについては、われわれはまだ何も知らないのだ。」

 これは奇妙な話だ。これは「宇宙の中心がどこなのかは分かったが、なぜそこが宇宙の中心なのかは分からない」と言っているようなもので、矛盾しているとしか思えない。一種の循環論法とさえ思える。

 「量子物理学の発見」にはさらには次のように書かれている。

「ヒッグス粒子の質量を説明できないというのは、かなりもどかしい状況だ。それは次のような事情による。「量子色力学」(QCD)は、クォークとグルーオン、そしてこれらの粒子間に働く強い相互作用に関するみごとな理論で、一九七四年に起こった一連の大躍進によって生まれたものである。そして、いったんその理論の中身が理解され、クォークとグルーオンの存在が実験によって確かめられると、この理論は「強い質量」の由来をきちんと説明してくれた。「強い質量」とは強い相互作用によって生じる質量である。実は一九五○年代から一九六○年代にかけて発見された多くの素粒子が持つ質量はそれで、陽子と中性子の質量の大部分も「強い質量」なのである。このことをもっと早く読者のみなさんに伝えなかったことを、お詫びしなければならないぐらいだ。(中略)強い質量は、QCDで発見された固有の質量スケールから生じたもので、ヒッグス粒子からではないのである。」

 以上の引用についてはいくつか疑問点がある。

 まず一つは、「このことをもっと早く読者のみなさんに伝えなかったことを、お詫びしなければならないぐらいだ。」の部分で、なぜこの本の大半をしめるヒッグス粒子に関する記述を、最終九章になって全て否定するようなことを書くのかということ。

 次に、「クォークとグルーオンの存在が実験によって確かめられると」の部分である。かつてクォークは陽子の内部に三つあるとされていたが、最近になって「無数のクォークが湧きたっている」といった解釈に変化してきているはずだ。そもそもクォークを単独では取り出せないことが「クォーク閉じ込めの原理」とされ、この謎が解ければノーベル賞確実なぐらいである。さらにはグルーオンはまだ理論上の存在であり観測されていないはずだ。

 さらに「この理論は「強い質量」の由来をきちんと説明してくれた。」の部分である。量子色力学は、陽子内部の三つのクォークの組み合わせが〜いくつかのパターンの三つの色の組み合わせが常に白になるように〜同一の条件結果に収束するというものだ。これは数学分野で一億円の懸賞金がかかっているミレニアム問題の一つである「ヤン=ミルズ問題」とほぼ同一の内容を持っている。ヤン=ミルズ問題はその一部に「陽子の内部に質量が生じることを証明せよ」という物理学に通じるものを含んでいる。そして、それは解かれていない。もし解かれていたら新聞の一面を飾るような大ニュースになるはずだ。


 さて、ここからがいつもの戯言である。

 「量子物理学の発見」にはさらに次のように書いてある。

「QCDは、強い質量のスケールがどこから生じるのかを、驚くべき方法でみごとに説明してくれる。それによれば強い質量は、なんと、量子力学そのものから生じているのだ。」

 これ以降、この本の記述は「漸近的自由」の解説に終始し、「量子力学そのものが質量を生み出すシステム」については一切触れていない。なんだか煙に巻かれてしまったという印象だ。

 ところで、量子色力学の考え方をベースに、「量子力学そのもの」をシステムとして質量が生じる様子を理論化したものが一つ既に存在する。それは物質の基本単位である素粒子を「球状の波」とする考え方だ。以下のページを参照していただきたい。

「量子という球状の波」(クリックして下さい)


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2017年1月22日 (日)

観測結果としての「ブラックホール」はダーク水素(斥力物質)で説明できる

 ブラックホールは観測事実として存在すると聞く。私の浅薄な知識の範囲内では、その天体の周囲の光の屈折率が、その天体の規模から予想される質量のそれを超えているとき、その天体はブラックホール化していると考えて良いのだろう。

 しかし、天体の周囲の空間のひずみが、その天体の質量が生み出すひずみを超えた見かけになると考えられる別の可能性が存在する。

 それは、その天体の周囲の空間を、ダーク水素(斥力物質)が取り囲んでいるという解釈である。

 ダーク水素とは、拙ブログの「戯言パラダイム」が予言する斥力を持つ物質であり、詳細については以下のホームページをご覧になっていただきたい。 → 『時間認識という錯覚 第六章』

 さて、その天体のすぐ側を光が通過する様子をイメージしてみよう。光はその天体の質量が生み出す空間のひずみにそって進路を曲げられる。ところが、その天体の周囲に分子単位で均等に空間に広がる斥力物質があるとする。斥力物質は光の進路を遠ざけるから、天体の方向に光を押しやるように働く。

 つまり、斥力物質に取り囲まれた天体は、実際の質量以上に光を引き寄せているような見かけになる。

 この理屈は、銀河レベルにも言えるはずで、これが正体不明の質量として存在が予言されているダークマターの正体なのではないかと思うが、やや思いつきに過ぎないアイディアではある。

 つまり、ダークマター、ダークエネルギー(斥力)、ブラックホール、宇宙の加速膨張、これら全ては宇宙の暗闇の中に均等に広がって観測不能な状態にある、「ダーク水素(ダークフェルミオン)」ひとつで説明可能になるのではないかと。

 オッカムの剃刀的には、面白いアイディアだとは思うが。

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2017年1月 1日 (日)

ニュートリノと陽子崩壊

 元旦からこんな記事を書くかと自分でもあきれているところだが、そんな人間なのだから仕方がない。

 例によって全面的に戯言なので、もし検索やらなんやらでこのページにたどり着いた人はそう思って読んでやって欲しい。

 もちろんこれまでずっと書き続けてきた「戯言パラダイム」に基づいた「戯言」である。

 2年前に「ニュートリノ振動の発見」にノーベル物理学賞が贈られた。ニュートリノ関連では二つ目のノーベル賞である。

 それについての記事をあれこれ読んでいるうちに、またふと奇妙な「違和感」を感じた。

 カミオカンデというニュートリノを検出するための実験装置は、そもそもが陽子崩壊を観測するために作られたらしい。安定度の高い陽子も、膨大な量の純粋な水を観察すれば、そこに含まれるはずの陽子のどれかが崩壊するはずだ。その時に発生するチェレンコフ光というのを観測することによって、陽子の内部構造を探ろうという試みだ。

 陽子は現在知られているところの物質の最小単位と考えていい。その内部にクォークが三つあると言われているが、観測機器の発達によって、次第にそう単純ではないということが明らかになってきた。三つのクォークを基本として、多くのクォークが「沸き立っている」という表現を見かけたことがある。

 つまりシンプルに言えば、陽子の内部構造はまだなにも明らかになっていない。

 陽子の内部構造を探ることの意味・価値については説明するまでもなかろう。我々の存在そのものを構成する根本原理を理解することができれば、当然それをコントロールする可能性が生まれてくる。未知の有用性ある物質の創造、重力や質量のコントロール等々、先にはSF的世界が広がっている。

 しかし、まだ陽子の内部構造は明らかになっていない。

 だから、ニュートリノの話に「違和感」を覚えるのである。

 なぜカミオカンデの内部に生じた「チェレンコフ光」が、陽子崩壊によるものでないと言い切れるのか?

 私の浅薄な知識では、陽子崩壊のチェレンコフ光が三方向に向かって放たれるのに対して、ニュートリノのそれは一方向ということぐらいしかわからない。
 だが、実にシンプルな疑問なのだが、陽子崩壊はこれまで世界中の誰も観測したことはないはずだ。なぜ、内部構造も明らかになっていない存在の、観測されてもいない崩壊の際の特徴を、断言的にこうだと言い切れるのか?

 ひょっとしたら暗黙の了解的に、ニュートリノの研究と偽って、実質的に陽子崩壊としてのデータが蓄積されているのではないかとさえ思うが、勝手な憶測に過ぎないとは思う。

 まあ私の人生にふさわしい、新年一発目の「戯言」ということで…

追記

 ニュートン別冊「素粒子の全て」を読んでいて思ったことを書いたわけだが、P152にあたりに陽子崩壊の過程をイラスト混じりで分かりやすく説明してくれている。が、その過程が余りに複雑なので、「そんなものなのかなあ」と思ったというのが本音である。あれ、二つのクォークが「対消滅」して、一つの「光子(電子)」になって飛び出したと簡潔に説明して何が悪いのかなあと。まあ戯言なので(逃げる)
 おいらの「戯言パラダイム」では、陽子の内部構造を伸縮する三つの球状波と捉えている。それら三つの伸縮のタイミングがずれて、バランスが崩れて、一つの球状波に吸収されると捉えても面白いと思う。だから三つのクォークは取り出せないのだと。陽子が崩壊する時に出てくるチェレンコフ光は一つなのだと。

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2016年9月17日 (土)

ダークエネルギーによる宇宙創生、そして加速膨張

 いきなり欲張った題名ではあるが、もちろんこの「戯言日記」のブログ記事なんだから、「量子は球状の波」という本ブログの戯言パラダイムに基づく記事である。戯言パラダイムの詳細については、『時間認識という錯覚 第六章』で確認されたし。

 さて、上記「第六章」で私は、通常物質として引力を生み出すフェルミオンに対して、斥力を生み出すダークフェルミオンの存在を予想した。

 球状の波である3つの光子が、偶然共振(もしくは量子もつれ)を起こして、収縮限界近い状態を保ったまま小刻みに振動し続ける。それが「対称性の自発的な破れ」の実態であると仮説を述べた。
 さらに、収縮限界近くで対称性が破れるのなら、伸張限界近くでも同様の現象が起きるはずだと述べた。そしてそれによって出現するダークフェルミオンは、通常物質と逆の性質である斥力を持つはずだと。

 本ブログの記事「宇宙創生直前 ― 時間と空間の対称性 ―」において私は、光しかない宇宙に、偶然寄り添った三つの光子が共振を起こした瞬間、通常物質の元となるフェルミオン(陽子)が生まれ、「空間」と「時間」それぞれの対称性が破れて、我々の日常的な「世界」が始まったと述べた。
 しかし、先に述べたように、それとまったく同じ確率で、斥力を持つダークフェルミオンも発生するはずである。

 引力を持つフェルミオンと、斥力を持つダークフェルミオンが宇宙に誕生する瞬間から現在に至るまでの過程をシミュレーションしてみよう。

 フェルミオンとダークフェルミオンが同時に生まれたとする。第六章で説明したように、それらが同質量であれば、引力と斥力が完全に拮抗して、それらは離れも近づきもしない。しかし、それらが複数出現した瞬間に、状況は大きく変化する。
 フェルミオン同士は引力を持つため互いに引き合い、次第に集積して天体を作っていく。しかし、ダークフェルミオンは、斥力を持つため寄り集まることはない。陽子単独レベル、つまりダーク水素というべきレベルにとどまって、天体を作り出し始めた通常物質からはじき飛ばされるように離れていく。ダーク水素は、通常物質からも、互い同士からも離れ続け、いわば宇宙の隙間を求めて移動し続ける。ダーク水素は通常物質のない宇宙空間にほぼ均等に散らばり、その結果として光学的に観測することは出来ない状態にある。

 フェルミオンとダークフェルミオンは、生成と消滅を繰り返しながらも徐々に徐々に増えていく。そして、それぞれがある程度の量に達したとき、宇宙空間における場を奪い合い始める。

 斥力を持つダーク水素はバルーンのように拡がり、引力を持つ通常物質を一定の宙域に押しやっていく。そもそもが引力を持ち、集積しやすい通常物質は、その作用の力も借りて凝集し、次第に星雲レベルの大集団を作っていく。それらは、ダーク水素が作り出すバルーンの隙間に押し込められ、泡状の宇宙の大規模構造を作り出す。

 星雲が、バルーンに押しつぶされないのは、それ自体が回転しているからである。「第六章」で説明したように、物質を構成する基本要素である陽子の中でクォークは短い周期で伸縮を繰り返し、3つのクォークが順に収縮限界近くまで収縮することで、質量の中心点が陽子内部で循環し、陽子はそれ自体として歳差運動(首振り運動)を行っている。言い換えれば、陽子はそれぞれ一つずつ、それ自体としての位置エネルギーを持っているとさえ言える。その作用によって、天体は互いの周囲をめぐり、恒星の群は互いに影響し合って長い長い時間をかけて銀河を回転させる。そうやって生まれた遠心力が、ダーク水素の巨大なバルーンの圧力と拮抗する。むしろ、銀河の構造を安定させる要因となる。

 ダーク水素の内部のダーク陽子もまた、質量の中心点が内部で循環しているはずだ。従って、ダーク水素の巨大なバルーンも、バルーン内部で大きな対流を起こしているはずだ。それが銀河自体の回転と作用し合って、銀河一つ一つの奇妙な構造を創り出す。

 さらにフェルミオンも、ダークフェルミオンも、間断なく宇宙のどこかで生み出され続ける。フェルミオンは銀河に吸収され、ダークフェルミオンはバルーンを拡大させる。それがそもそもの斥力の作用と相まって、宇宙を加速膨張させていく。

 この、ダークフェルミオンが宇宙に均等にばらまかれた結果としての、斥力を持つ巨大なバルーンこそが、ダークエネルギーの正体である。


 

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2016年8月26日 (金)

「宇宙の大規模構造」と反重力物質(ダークフェルミオン)

 
 宇宙の銀河の分布は、泡のような構造になっているらしい。それは反重力物質の存在を指し示しているのではないか。

 ウィキペディアの「宇宙の大規模構造」のページをご覧になっていただければ分かるが、宇宙には細くつながった銀河の合間に、空洞のような領域が広がっているらしい。

 反重力物質の存在可能性については、このブログではおなじみの戯言ページで解説済みである。

 以下、上記のリンク先のページをご覧になっていることを前提として話を進める。

 球状の波としての量子(素粒子)の、複数が偶然、共振(もしくは量子もつれ)を起こして、「対称性の自発的破れ」によって、収縮状態を保った状態で安定したのがフェルミオンの正体であるというのが、本ブログの戯言パラダイムの主張である。
 この時、伸張状態でも安定して、言わばダークフェルミオンとでも呼ぶべき状態を創り出す可能性について上記ページで仮説を述べている。

 共振は、収縮限界近くでも、伸張限界近くでも同じ確率で起きるはずだから、単純に考えればフェルミオンとダークフェルミオンの発生確率は同じはずである。
 我々の身の回りの通常物質の元となるフェルミオンは、それぞれが引力を持つため凝集して物質化する。しかし、ダークフェルミオンは斥力を持つため、発生した瞬間に全てのフェルミオン及びダークフェルミオンから遠ざかり始める。フェルミオンのように凝集して物質化することなく、素粒子レベルを保ったまま物質の密度の低い空間を目指して移動し続ける。

 そして膨大な量のダークフェルミオンが密度の低い領域を求めて集まった結果、通常物質を押しのけるようにして巨大な空洞を創り出す。

 つまり、「宇宙の大規模構造」における超巨大空洞には、素粒子レベルの反重力物質(ダークフェルミオン)が均等の密度を保って充満しているのだ。


追記

 素粒子レベルを保って凝集しないと考えれば、反重力物質(ダークフェルミオン)が自然界に簡単には発見できない理由が分かる。
 逆に言えば、完全に閉鎖された空間でダークフェルミオンを精製することができ、それを何らかの方法で物質化することができれば、本当に反重力構造物を創り出すことが可能かもしれない。うーむ、マッドサイエンティストテイスト。

追追記

 ついでに、宇宙の果て近くで全ての天体が遠ざかっている(ように見える)理由の説明にもなるのかもしれない。
 

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球状波理論(Spherical Wave Theory)

 拙著『時間認識という錯覚』の、ネット限定の第六章に書き綴ってきた「戯言」に名前をつけてやりました。

 球状波理論(Spherical Wave Theory)

 まあ読んで字の通りなんですが、詳細については以下のページをご覧になって下さい。
 
 →日本語ページ
 →English

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2016年7月17日 (日)

クォークはなぜ3つで安定するのか

ずいぶん前から、ツイッターとかではつぶやいていたのだが、なかなかブログ化できずにいた(単に気分の問題だが)のを、ブログ化してみる。

 ハドロン(陽子、中性子)を構成するクォークが3つであることには必然性がある。

 もちろん、これから語る内容は拙ブログの戯言パラダイムに基づいた内容なのだが、先ず基本的な話から始めよう。
 ハドロン、すなわち陽子と中性子は、「原子」の構成要素である。さらにハドロンはその内部にクォークという素粒子を持っており、それが物質の最小単位といわれている。そして、陽子や中性子を構成するクォークは3つが基本である。

 ところで、クォークが3つで安定するなら、それ以外の数でも存在するだろうということで、様々な組み合わせが予想され、それを探し求めて実験が繰り返されているらしい。

 クォークは単独では存在できない(クォーク閉じ込めの原理)。クォーク二つの組み合わせがメソン。三つが我々の身の回りの物質を普通に構成しているハドロン。四つが未発見のテトラクォーク。五つが少し前に「発見されたか?」と報道されたペンタクォークである。

 ハドロン(陽子、中性子)は、物質の基本単位であり、我々の身の回りに当たり前に存在している。しかし、それ以外のクォークの組み合わせは、例え観測できても逆天文学的とも言うべき短時間で消滅してしまう。

 なぜクォークは3つそろったときに安定するのか。3という数字にどのような必然性があるのだろうか。

 拙著『時間認識という錯覚』のネット限定第六章に以下のような画像をアップしている。

 → 陽子のスピン

 クォークを半永久的に振動する球状の波ととらえ、収縮する際になんらかの空間の「リソース」を費やすと考えたとき、ハドロンを構成する三つのクォークは、互いに「リソース」を奪い合うことで引きつけ合う。それが「強い力」の正体であると考える。

 その時、リソースの流れとしてクォークが三つの時が構造上最も無駄がない。それは「流体力学」などといった言葉を持ち出すまでもなく、上記の画像を見ていただければ一目瞭然だ。

 つまり、「3」という数は、「円」を創り出す最もシンプルな数である。 

 三つのクォークの間で空間の「リソース」は、円形のプールのさざ波のようにぐるぐる回り続ける。(しゃぶしゃぶ専用の鍋のような構造と説明すべきか。)
 それらの波の振動が、ぐるりと一周して安定するところで(つまり整数倍的な振動数で)、三つのクォークは安定し、半永久的な存在である陽子や中性子となる。

 クォークが二つの時(つまりメソン)、「リソース」の「波」はその間を直接に行き来する。波は干渉し合うことはないから構造として二つが最もシンプルなようだ。しかし、波の重なり方によって一瞬でも二つのクォークの間のどこかに空間の「リソース」の限界を超える部位が生じてしまうと、その瞬間に安定は崩れ、メソンは消滅する。クォークが三つであれば、「波」は一方通行であり、重なり合うことはない。

 クォークが四つの時(つまりテトラクォーク)、それらは正四面体の配置になるので、粒子相互の結びつきという点ではむしろ構造的に強固なはずである。それなのに、未だに観測されたという報告はないらしい。

 クォークの組み合わせが四つに限らず、それ以上であっても、空間の「リソース」の流れは複雑になる。球状の波としての「振動」が、互いに互いを安定させ合うような「流れ」を生み出すには至らないはずだ。

 「3」という数は「円」を創り出す最もシンプルな数である。三つのクォークは円形構造の中で互いに空間のリソースを奪い合いながら、半永久的に振動し続けているのだ。


追記

 むしろ、ハドロンのクォークが三つであることが、「強い力」の正体が、グルーオンなどといった仮説粒子によるものではないことの一つの証明になっている。グルーオンが「強い力」でクォークを結びつけているのなら、むしろ正四面体のテトラクォーク(クォーク四つ)の方が、構造として安定するはずだ。

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2016年4月 3日 (日)

四つの力

 科学雑誌ニュートンの今月号(2016 5月号)は、「四つの力」の特集だった。「四つの力」とは自然界に存在する基本的な力である「重力」「電磁気力」「強い力」「弱い力」のことを指す。実にわかりやすい解説で、これまでの理論物理学の歴史を概観するのにももってこいの特集だった。

 この記事を読んでいて、本ブログのカテゴリ「量子シリーズ」で書き綴ってきた「戯言」で前々から考えていたことを書いてみようと思い立った。

 それは素粒子全てを「空間の球状の振動」と捉えたとき、「四つの力」全てが説明可能になるというものである。

 「重力」については、「第六章」で説明した通りである。

 「電磁気力」については、本ブログの記事「電磁気学と『球状の波』」で言及済みである。(やや不完全ではあるが)

 「強い力」とは、素粒子同士を結びつける力であり、これも「第六章」において言及済みである。

 「弱い力」については、実はその定義自体をこれまでよく理解できていなかったのだが、前出のニュートンの記事には「中性子がひとりでに陽子にかわるように、変化を引きおこす力」とある。陽子と中性子の違いは、それらを構成するダウンクォークとアップクォークの数に違いに過ぎない。アップクォークとダウンクォークは同じ「空間の球状の波」の別の状態であるとする本パラダイムの考え方は、「弱い力」をその理論基盤に含む。

 本ブログの戯言パラダイムの売りは、「なぜ重力だけが他の力に対して極端に弱いのか」という問題の答も提示している点である。(※以下は前出の「第六章」を読んでいるという前提で記述する。)

 「重力」は、それぞれの「物質」の方向の「空間のリソース」が不足するだけである。それ以外の全ての方位の「空間のリソース」は潤沢である。

 それに対して、複数のクォークを結びつける力は、それぞれの周囲のリソースが完全に枯渇した状態で互いの内部の「空間のリソース」を奪い合うことによって生じる。「リソース」の供給源が、相手のクォークの方向にしかないため、強力に結びつき合う。

 この考え方で、「重力」と「強い力」との力の差を数学的に計算できるような気もする。単純な数式で表せそうな気もするが、そこまでの理系力はない。だははは。笑ってごまかす。空間の収縮限界と伸張限界を定数として設定する必要はあるだろうけど。空間の弾性係数も必要か。

 ニュートンには「最終的には、一つだけの力、一つだけの基本法則で全てを説明したい」(P62)とある。正直すでに説明できているような気もするのだが、「実証」する必要があるのだろうし、「陽子のスピン」が観測されるのを楽しみにしている。

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